2015年9月5日土曜日

老子を検索すると高潔な風貌の絵とか仙人然とした絵がたくさん。 たぶんこの絵のように鼻毛が出てたりでまさかな風貌のはずだ。孔子が探しても見つからなかったくらいだから。 水戸黄門のように潜む生きざまにダンディズムを感じてたし、あえてそうしてたような解釈が一般的だが、何者でもない意識の広がりに生きる本人は世に知れるなんてガチで嫌だったのだろうと感じる。 何より自分の意識にちょっとは知られた自分像が生まれたらそれほど不自由でウザいもんはないと知ってたはずだ。 近所の八百屋のおじさんは現代の老子かも知れません。 永平寺の秘仏的釈迦の絵も乞食ぶりがいい。修行とは清らかな者や優れた者や善き者になることではないという正しい方向へ誘うメッセージを感じる。


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