2015年10月5日月曜日

 ロンドンを中心としたファッションやアートワールドの沢山の人々がバリーケイメンの突然の死にうちひしがれてます。  しかし僕は母が急死した際その妹が泣き崩れながら様々な後悔を語る姿を見て以来、死は残された者のみにあり、何かが現れたり消えたりという観念的解釈は死者(死んだとされる者)にはなくむしろそのような概念を超えた意識の本質に立ち戻っているのだという認識が強くあります。  バリーは最愛なる師であったスタイリストのレイペトリの病床に死への旅立ちに立合い、心電図がフラットになり脳波が止まるまで、心中"行けー行けー"と念じ、無事に医学的死を向かえた瞬間"やった!彼はやり遂げた!"と内心大喜びし心からの声援と賞賛を送ったというエピソードを教えてくれました。  そりゃあ、あんなハンサムさんが物理的にこの地球上からいなくなるのは寂しいけど、哀しみは我々のもので彼の体験ではありません。 だからバリーがレイにそうしたように、僕らは彼が無事に次元を渡ったことをWell done Barry !と讃えるべきだと思います。  僕がリスペクトする貧民街のタバコ屋聖者ニサルガは彼の師のそのまた師のエピソードを語ります。 彼は今から死ぬと言って、その寸前に拍手して逝ったそうです。 バリーも内心大きく拍手してたはずだと、生前に語り合った彼の死生感を通じて強く確信しています。  おめでとう!   


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