2015年11月2日月曜日

世界が悲しいのではない。 悲しい私をイメージしていてイメージ上の私の環境が悲しいのだ。 私が悲しい世界にいるのではなく、世界の悲しみの主体として私がイメージされている。 全ては自己イメージであり、イメージの自己が消えた純粋世界には悲しみはない。何故なら悲しむ者もいないのだから。 私とはそのような純粋世界だ。 決してイメージされうる個人ではない。


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