2016年5月27日金曜日

Bach - Sonatas & Partitas for Solo Violin

クラシックはピアノばかり聴いてた。 琴線に触れると言うけどバイオリン(弦楽)の音はハートに響くね。と今さら感じる。
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2016年5月17日火曜日

以下数年後の自分へのメモがわりの戯れ言です。 仕立屋として時に責任とプレッシャーで止めたくなることがある。 しかし責任感とはナルシシズムの一種であり作家性やスキルという自己の資質と依頼者という対立項にある内はどこまでも心が休まることはない。成功の背中に常に失敗がはりついてて散る葉のように交互にそれらが繰り返すだけだからだ。 そこでとにかく満足される服を作るのだと決意するとその一方向性に自己は消え去り苦も滅する。解りやすく言うと、失敗したらどこまでも満足頂けるまで作りなおせばいいという心持ち。 先日のダライ・ラマ法王の説法以来写真の入菩薩行論を再読している。 要約すると自己と他者を入れかえて他者を優先する生き方にシフトするという事。しかし僕ら凡人が浮世でイメージする人助けといったレベルではない。何故私という機械を利するのか?土の塊と大差ないのに。とすらある。 だが僕ら凡人がおののくような自己否定が完全な自己解放に導くと利他の上での自利が説かれている。 上手く言葉にならないがこの事と、どこまでも満足頂けるものを作ろうという決意こそが職人としての葛藤をストンと解消してくれたこととがとても繋がるのです。 感覚で言うと浅瀬で溺れる事を怯えるなら隣の島まで泳ごうと決意すれば浅瀬の困難は自動的に消滅する。みたいな。 責任感とは害を与えた相手の事ではなく実は至らない自分についての悩みだからそのエネルギーも相手に捧げればいいのです。 あの人が、会社が、政府が、と色々あるけど悩みの対象も原因も全部"私"なのです。 その"私"こそをなんとかすれば、雲が去った青空のような解放が広がるはず。 僕は服をこさえる事を自己破壊の道であり友達を幸せにする方法にしたいものです。


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2016年5月11日水曜日

インターネットライブ中継:シャーンティデーヴァ『入菩薩行論』 | 法王庁

http://ift.tt/1Og1GS5 はじまりはじまりー 9時30分から 入菩薩行論のエッセンスは他者を上に自らを下とすることと苦難をメリットに換えることで老子の教えに通ずると思う。って僕の解説なんてどうでもいいけど。
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2016年5月7日土曜日

S.E.H Kelly (@sehkelly) • Instagram photos and videos

近年デザイナーはルックの撮影やインスタの発信に力をいれるけど、肝はシーズンのテーマが云々とかじゃなく、このクオリティをディレクションする人の美意識が作る服は良いに決まってるとおもわせること。 そう感じるブランド見っけ。
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